ゆるす ということ

昨日、心の時代という番組の中で近藤紘子さんという方が教会の中でインタビューに答えているのを見ました。

近藤さんは、生後8カ月の時に爆心地から1.1kmで被爆、その後血便と高熱が続いたそうです。

B29・・・エノラゲイから投下された原子爆弾は広島は瞬時にして焼け野原とした。多くの命が失われたこと、言うまでもない。小さい頃彼女をかわいがってくれた「お姉さん達」は顔に怖いほどのケロイドがあった。怖いとは思いながらも、それにまさる感情は、原爆を落とした者に対する憎しみであった。何の罪もない自分たちにこのような目に遭わせた者どもに、大人になったらきっと仇を討ってやりたいと思い続けていた。

10歳になった時 広島の25人の「お姉さん達」のケロイドをニューヨークの、ある病院が治療してくれることになり、父、谷本清は付き添ってアメリカに行った。父はその際にアメリカのTV番組にその父が出演することになった。母サチさんと近藤さんも父へのサプライズとして父には内緒でテレビ局から招かれた。舞台には二人の知っている人がいた。一人は神学校に学んだ父のアメリカでの同級生、もう一人は日本で宣教師をしていた人白人女性。そしてもう一人・・・知らない男がそこに座っていた。ロバート・ルイス・・・B29エノラゲイの副操縦士であった。

彼女は驚いた。長い間、いつか仇を討とうと心に決めたその一人がそこにいたのである。近藤さんは、目を一杯に見開いて彼を睨み付けた。心の中で「あなたは悪い人だ  あなた達さえ、爆弾を落とさなければ、広島の多くの人たちは苦しまなくて済んだし、死ななくて済んだに」と思いながら・・・

司会者はロバートに聞く・・・爆弾を落とした後にどう思いましたか・・・と。

ロバートは答える・・・「テニアンを出発して、広島上空で8時15分に爆弾を落としてからはすぐさまその場を飛び去った。」と。原爆のすさまじい破壊力は、それを投下したエノラゲイ自体をも破壊するほどのものだったからである。その後、落とした爆弾の威力を見てくるようにとの命令があり、途中から引き返し上空から広島を見たら、広島が消えていた」とロバートは続ける。そしてその時の感慨を・・・

Oh, God. What have we done?

神様 私達はなんてことをしたんだ。

と当日の飛行日記に書き記したという。

近藤さんは睨みつけていた彼の目から溢れていたものを見逃さなかった。自分はこの人達を何年も憎み続けてきたけれども、その涙を見たときに、この人にも相応の苦しみ・悲しみがあるのだと言うことを知った。これ以上はないのではないかと思われる「悔悟」がその涙から伝わってきた。

近藤さんは、相手を一方的に恨んでいた過ちに気づいた。これまで「悪い人とずうっと思っていた」その人にも苦しみがあり、「正しい人と思っていた」自分の中にも悪があることを知った・・・「もうそれ以上その人を敵としてということは、人間としていけない」と思ったのだという。彼女の心から憎しみはしだいに薄れていった。

しかし、原爆の魔手はその後も紘子さんを捕まえて離さない。彼女はその後アメリカの留学、その留学先の大学の人と婚約する。結婚準備のためか彼女は一旦日本に帰るが、そこに彼から手紙が来る。相手の専門が、放射能が人体の関係だったそうなのだが、その後の家族会議で・・・まともな子供を産むことはできない人との結婚はあいならぬ・・・と家族会議で決まったそうだ。

近藤さんは思う。私はケロイドもないし、他の被爆者達とは違うと(そんなことを思うことにも罪があると彼女は後に気づく)・・・そして、東京の外資系の会社に入り、同僚と結婚。妊娠したが、流産してしまった。悲歎にくれていたある日、母を伴い医師の許を訪ねた際に母は言った。

紘子ちゃんは小さい時からお医者さんに子供を授かる事は無理だと言われていたんですよ

と・・・その時初めて、少女時代に優しくしてくれた被爆した「お姉さん達」の悲しみが理解できた気がしたという。その後、自分や「お姉さん達」の味わったような悲しみ、そしてエノラゲイの副操縦士ロバートが抱き続けたような煩悶を二度と再現させてはならない・・・そんな思いから、生きている間の核廃絶を強く願い、国内外で講演活動を続けている。

近藤さんは10歳の時のロバート・ルイスとの出会いに強く感謝しているそうだ。確かに原爆を投下したという行為自体は許せない。けれどもあの時あの出会いがなければ私は憎しみに凝り固まった・・・そんな人生しか送ることが出来なかったと。