神様の御手の中で Rさんのストーリー

 

私は今 デイサービスセンター で、栄養士兼介護士をしています。
 そもそも、何故ここに就職したかというと、まず、働くなら土日休みの所が良く、子供も好きなので保育園で働くのが良いと思いました。できれば、家から近いところが良いと思っていました。大学生の時、求人の掲示板を見ていると、他の出ている求人よりダントツで家から近く、保育園で少人数保育。しかも社会福祉法人で、調べてみるとキリスト教保育ということ、また同じ大学出身の先輩がいるという事に、すごく興味を持ちすぐに友達と見学しに行き、その時事務の人にカトリックかプロテスタントか聞きましたが分かりませんでした。雰囲気も良く感じたのですぐに面接を申し込みました。その時、主の御心でしたら、ここに受からせてください。と祈りました。面接時、受けた人が5人いましたが、最終的に合格しました。とっても嬉しくて神様に感謝しました。その後研修が計2週間あるとの事だったので、自分の都合を伝え、保育園に通いました。そこで60代の調理員さんに初めて会いました。目の前のことを一生懸命やりました。しかし、計2週間で間が空いてしまったりで中々覚えられません。だんだん先輩と調理員さんがイライラしてくるのも分かりました。入職する前から厳しい先輩たちだなぁ、社会とはこういうものなのかな、大丈夫かなと心配でした。
3月には、卒園式に参加する機会があり、そこでは私たちが普段日曜日に礼拝している形式と全く一緒でした。主の祈りをスラスラと担任の先生は言っていて感動したのを覚えています。後でわかった事ですが、園長先生のお母さんがプロテスタントのクリスチャンだった様で、キリスト教保育が導入されたとの事でした。いざ入職してみると、保育園の雰囲気はピリピリしていて事務所には緊張感が漂っていました。しかし、心は伴っていなくとも、毎日保育の中で礼拝が入っていて、賛美し主の祈りをし、今月の聖句を毎日言っていました。研修の時に薄々感じていましたが、私の保育園の同期が言っていましたが、ここは北朝鮮のようでした。
お昼ご飯を事務所で前半後半で分かれて食べていました。食べている時は他に仕事をしている人がいるので、配慮しているのかシーンとしている事がほとんどでした。電話がかかってくるとすぐに立ち上がって出たり、インターホンに出たり、すごく休憩が休憩じゃないなと思っていました。
仕事面は先輩栄養士の先生と私とで厨房と事務と1ヶ月交代制でやっていました。
私が事務の時は事務所で仕事をするのですが、事務所と厨房は1枚の扉を挟んで隣だった為、大きい声だと少し聞こえたりしました。仕事してると、何かと私の悪口を言っているのではないかと、何度も勝手に落ち込みました。
私は色んな失敗をして、先輩や園長先生に怒られました。また調理員さんに何をしてもイライラすると言われたこともありました。
時には自腹でオレンジを買い取ったり、トイレ掃除をしてたら自動で蓋が開く蓋を壊して自腹で払ったり、色んなミスをしてきました。先輩と調理員さんの態度が凄くキツくてすっごく辛くて辛くて、厨房に入ると毎日胸に重たい石があるように感じられました。また、出来ないことが悔しくて、分からないことがあってもどう聞いたら分からない、何をしても嫌われているという認識、厨房で泣き崩れた事もありました。先輩からキツイことを言われたあと、言い方がキツくてごめんね。と言われたことがありました。自分でも言っていましたがオンオフが激しいと。しかし、優しい所もある事を私は知っていたので、先輩の事が好きだけど、苦手でした。この辛い中、同期とご飯を食べに行ったり、同じ境遇に合ったことのある一つ上の先輩を神様が与えて下さり、励ましてくれたり。教会の兄弟姉妹や家族が私が祈れず笑えなくなっている時に祈ってくれて、助けてくれて本当に本当に感謝でした。毎日通勤の行き帰りは音楽プレイヤーで賛美を聞きました。何度も涙が溢れてきました。仕事場に着く前には主が今日も共にいて下さい。力を下さい。と祈ってから、踏み込みました。日曜日には賛美とメッセージによって励ましをもらいました。神様の憐れみによって、神様から離れることなく、御言葉より、

 

「敵を愛しなさい。かえって祝福しなさい。いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。全てのことに感謝しなさい。」

 

この御言葉がずっと付いてきました。また、

 

「あなたがたがさばくとおりに、あなたがたもさばかれ、あなたがたが量るとおりに、あなたがたも量られるからです。」マタイ7章2節

 

の御言葉が語られた時は、これらの事を気を付けなければいけないと気付かされました。そして、ずっと先輩と調理員さんを愛します。祝福します。と宣言をし続けました。また何度も自分の弱さに悲しくなり、涙を流し祈りました。
保育園で働いて1年3ヶ月頃に、副園長先生が私が潰れることを心配して、声を掛けてくれて、園長先生より介護施設の専属栄養士にならないかというお話をもらいました。厨房は一緒だけど、仕事を別々にすれば環境が変わるのではと提案をしてくれました。ここで辞めたら転職に困るよと心配してくれたのと、素直に意見を聞いて実行してくれるあなたを手放したくないと言ってくれました。話をもらった時に、やめるか、異動するか祈りました。また、厨房の今の状況のまたま辞めたくない気持ちもありました。その時に

 

イザヤの43章19節の

「見よ。わたしは新しい事をする。今、もうそれが起ころうとしている。

あなたがたは、それを知らないのか。確かに、わたしは荒野に道を、荒地に川を設ける。」

 

が与えられました。しかも、園で毎月出している保護者向けの手紙に書いてある今月の聖句がたまたま、この聖書箇所で目に入ってきた事。宣教師の方のメッセージからもこの箇所が語られて、三度も明確な示しがあって、異動する事に決めました。
先輩に話した時、穏やかに聞いてくれました。
決まってから、職員の方に話したらすごく喜んでくれて歓迎してくれました。今でも仲良くさせてもらっています。礼拝に一度来て下さいました。
この施設は、保育園の園長先生の弟が施設長をやっていて、園長先生の長男が仕切って仕事をしています。
異動してからは、施設長が親身になってくれました。また、神様が施設長を通してお菓子や飲み物、メガネが曇らないクリーナーや手の事を心配してクリームなどを下さいました。また弟がバイトでバイクに乗っているという話をした時には、暖かいジャンパーとズボンをプレゼントして下さいました。
最初は午前10時から施設の調理員さんが来るので、それまでに野菜を切ったり準備をして、調理員さんが来たら交代して事務をしたりしていたのですが、だんだん介護施設の職員の手が足りなくなりお願いされる事も多くなって、またここでの新たに覚える事もあり、ドライヤーで髪の毛を乾かすだけが送迎に出るようになりました。今では利用者さんをお風呂に入れたり、着替えを手伝ったりしています。
こちらに移ってからも、厨房に入るのは緊張しますが、前ほど会わなくなる為最初は気持ちが少し楽になりました。しかし、送迎に出てすぐに着替えの手伝いに入らなくてはならなくて厨房には入れなくなりました。すると、先輩と調理員さんが野菜を切ってくれていたり、助けてくれていました。しかし、私は栄養士で献立は立てているけど、普段介護の手伝いをして、厨房に入れなくて複雑な気持ちでした。また、介護の仕事をやりながらなので、発注のミスが増えたり迷惑を掛けて、申し訳ない気持ちで一杯でした。
一方で長男がすっごく細かくて自分のやり方に沿わないとすぐに気づいてすぐに指摘されました。また沢山怒られ、厳しく、ここでも、素直に聞く従順を学びました。
それから、休憩に入りご飯を食べる前に先輩、調理員さんの為にまた身内、教会の方のために祈るようになりました。祈っていくと、本当に少しずつ厨房の人と話しやすくなって来た事を感じました。また、ここで働く人一人一人の名前を挙げて祝福を祈るようになりました。すると、環境が少しずつ変わっていくのを実感し、また私が神様によって仕事を覚えた事によって、長男があまり怒らなくなり、優しくなり下の保育園も雰囲気が変わって来たように感じました。そんな中、2018年の4月に栄養士として、私と先輩の先生と同じ大学の四年大学出身の先生が入職してきました。
入って1ヶ月くらいにお仕事はどうですか?先輩方と、話したり出来てますか?と聞く機会があってお話ししたら、やはり私と同じく辛い思いをしていて泣き出してしまいました。何度かご飯に行って、私が乗り越えられたのは、神様のお陰なんだと。神様の話をすることが出来、御言葉を伝えコンサイスバイブルを渡すことが出来て読みますと言ってくれました。励まし合いながら仕事をしていましたが、12月いっぱいで辞めることになりました。この先生が居てくれたから、先輩の先生と話しやすくなったと感じましたし、K先生を通して、M先生との会話で調理員さんが最近丸くなったと言っていた事も知る事が出来、神様の働きを感じました。仕事の最終日に手紙をくれて、K先生にとって、大きな支えと癒しの存在であると感謝の気持ちが書いてあり、神様に栄光をお返ししました。
私は、K先生や、介護施設の職員に福音を伝えたし、もうここでの役目は果たしたかなぁ、栄養士として仕事を勉強したいと思うようになりました。次に行っても良ければ、神様が導いて下さいと祈り、転職先を探しました。そして、条件の良さそうな保育園に9月に受かりました。
それからM先生に伝える機会が与えられ、転職先が決まったと伝えたら、良かったね〜!と喜んでくれました。
それからは、またさらに話しやすくなって行きました。今まで調理員さんと私。M先生と私と、一対一なら話が出来ました。3人で話をする事は今までほとんどなかったのです。しかし、12/28に笑って話が出来たのです!!
私にとっては入職した当初からは考えられない奇跡が目の前で起こりました!!
もう、心には喜びと神様からのM先生と調理員さんへの愛が溢れて、溢れて感謝しました。神様の御名を褒め称えずにはいられませんでした。
また、年賀状が届き、調理員さんからは、先生らしく頑張ってネ!!今年もよろしく^_^と顔文字の笑ってるマークが付いていました。ハレルヤ!M先生からは、優しい先生、いつもありがとう!と書いてありました。とっても嬉しかったです。
今だから思う事は、神様は一人一人を愛しておられ、全てを益として下さること。苦しい事の先に祝福があること。知らない内に私の中の研がれなければならない所が神様の御手の中で砕かれていたこと。またこの苦難を通して神様に祈るようになり、より頼み、ぐっと神様に近づけさせて下さって、神様をより感じるようになりました。本当に主は素晴らしく、時にかなって美しい事をなさる方であると感じました。

 

 

「すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます。」へブル書12章11節

 

yさんのストーリー

1926年現在、スカイツリーが建っている押上で生まれました。家には神棚と仏壇があり、両親は特別に信仰を持っていませんでしたが、朝晩燈明、御飯、水を供えて拝んでいました。子供たちにそれを行うように勧めることはありませんでした。家庭は円満でした。1945年3月10日、東京大空襲で家は焼失、父、母、姉、妹が亡くなり、私一人が残され、自分だけが残されて不満でした。父以外は消息が分からず涙も出ませんでした。何時も死にたいと思っていました。キリスト教はアメリカの宗教と思っていました。1968年頃、e先生に導かれてキリスト教会に行きました。12月のクリスマス礼拝の洗礼式で何も知らないで受洗の恵みに預かりました。子供たちが学校に通うようになり、家で独りでいることが堪えられずパートとして働きました。当時は土曜日も仕事で日曜は疲れと残っている家事で礼拝に行けませんでした。Y先生に書道を学ぶようになり、ある時「神と富とに仕えることが出来ない」マタイ6章24節 

と、御言葉を聞かされて、仕事は辞めて礼拝を守る決心をしました。礼拝を守っていましたが、何時も心の中で自分ほど不幸な者はいないと思っていました。創世記のヨセフの物語(前々から何回も読んでいた箇所ですが)を読んだ時、ヨセフが次々と大変な困難に遭いながら何時も目の前のことに忠実であった姿に心を動かされ、自分の愚かさに恥じ入りました。神様に生かされてきた有難い年月を何と無駄に過ごしてきたか悔いました。思い返してみれば一人になって色々なところを通されましたが人々は優しく親切で食糧不足でもひもじい思いをした事もありませんでした。神様の守りがあったのだと深く思い知らされました。「この40年間、あなたのまとう着物は古びず、足が腫れることもなかった。」

申命記8章4節   現在、一人暮らしで、時に叫びたくなる時がありますが、そんな時こそ御名を呼び求め御心にすがって平安を頂き感謝で満たされます。牧師先生の説教の最後は何時も伝道のすすめでした。イエス様もマタイ28章19節「行って全ての民をわたしの弟子にしなさい。」マルコ16章15節「全世界に出て行って全ての造られた者に福音を宣べ伝えなさい。」とおっしゃっています。御心に従いたいと思います。

kちゃんの証

ある時、妹とスズメ公園で遊びながらいつものように、喧嘩をしては私が負けて大泣きしていました。そこに小さな女の子と一緒に来ていた女性の方から、「大丈夫?良かったら教会に来てみない?」と声を掛けてくださいました。でも知らない人だし、私は迷っていましたが、妹が「行きます。」と言うので、私もついて行きました。この場所に引っ越ししてくる前の聖火教会でした。教会に到着して、まず初めに目に映ったものは、壁に掛かっていた、十字架でした。これがどういうものなのかを聞いてみました。その部屋で点字を打っていた牧師先生が、「僕たち人間の為にイエス様がその十字架に掛かって死んでくれたんだよ。」と教えてくれました。けれども、「イエス様」の存在や自分の何のために死んだのかが、分からなかったです。

そこで私は子供のための「ジーザス」というビデオを妹とお母さんと一緒に見て、イエス様からの十字架の愛に涙が止まりませんでした。どうしてあんなに子供達に笑顔を向けてくれたり、病気を治してくださる方が、人達から悪く言われ、何も悪い事をしていないイエス様がどうして死ななくてはいけないのかと思いました。見た事、思った事をユリカ先生に聞いてみると、牧師先生と同じ答えが返ってきました。更に「私達の罪のために死んでくださったんだよ」と伝えてくれました。今迄にスーパーの飾りや人の物を盗んだり、人の悪口を言ったり、嘘をつく事が自分の罪だと分かり先生と悔い改めのお祈りをしました。それから日曜日は、ほぼ毎週教会に行き、賛美を歌っていました。(今でも子供の時に聞いていた曲も懐かしく思います)

そして、平成18年12月23日に妹とお母さんと一緒に洗礼を受けました。受けた時は、神様に1歩近付けたような気がして喜びでいっぱいでした。そして、教会の夏のキャンプにも参加して、「収穫は多いが働き人が少ない」マタイ9:37のみ言葉のメッセージを聞いて、神様の弟子となる決意をしました。・・・これからも好きな踊りを更に練習をし、もっと深く神様、イエス様を知り、学び、1人でも多くの人々に神様の愛、を伝えていきたいと思います。またタンバリンダンスも広めたいです。

Y君の証

私はクリスチャンの家庭に産まれました。なので産まれた頃から教会に通っており、神様の存在も自然と信じていました。私の名前の由来は詩篇118篇15節の  聞け、勝利の喜ばしい歌が正しい者の天幕にある。『主の右の手は勇ましい働きをなし、 という箇所からとられました。

 小さい頃は友達と遊ぶ事が大好きでほとんど毎日友達と遊んでいたので、日曜日に遊べない事はとても苦痛でした。心の奥では神様を信じていたので毎週日曜日は教会に行ってはいましたが、子供礼拝が終わり大人の礼拝が始まると隣の部屋へ行っておもちゃで遊んだり、小学生の頃は礼拝中にこっそり携帯ゲームをしたりなどしてほとんど信仰はありませんでした。天国に入るには死の直前に祈って悔い改めればいいや、と思っていたほど本当にいいかげんでした。

 洗礼を受けたのは確か10才の頃で、心の底では神様を信じているという理由で重要さもよく分からずに軽い気持ちで受けたのを覚えています。

 身の回りの人が教会に行っていないからといって教会を休んだり、非行に走るなどは特にありませんでしたが、真面目な時と不真面目な時の波がありました。例えば御言葉を聞いてここの箇所良いなと思って一週間覚えて行動しますが一週間経つと忘れてしまったり、自分の祈りが聞かれた時はすごく感謝しますが、祈りがなかなか聞かれない時は全く感謝しない。神様が主人であるべきなのに自分が主人になっていました。

  年を重ね、教会に通う中でだんだんと神様の喜ばれることをしたいと思うようになりました。きっかけは恐らくコリント人への手紙 I 6章20節とローマ人への手紙12章全体を聞いてからだと思います。礼拝への態度も霊と誠をもって捧げたいと思うように神様によって変えられました。

  

コリント人への手紙 I 6章20節

あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから自分のからだをもって、神の栄光を現しなさい。