聖書には、
何か懇願することのある時
自分が罪を犯して悔い改める時
もっと深く主を慕い求めたいときに
断食して祈ることが書かれています。
私も時々示されて、する時がありますが、
食べることが大好きな私としては決死の覚悟だったりするわけです。
40日間もされる方もいるのに、たかが一日二日三日など大したことがないといえばその通り。
断食しているのに、そばで食事されたり、食べ物の話をされたりすれば、修行の足りない弱い私はすぐにイライラしてしまったり。
体も弱くなっているので、チョットしたことで怒りっぽくなったりする。
で。自分が断食しているからと言いながら、
まあ自分にはっぱをかけて何とかやり過ごす場合なんかもあったりして・・・・
本当に情けない話です。
聖書のイザヤ書58章には素晴らしい言葉が書いてあります。
わたしの好む断食はこのようなものではないか。悪のきずなを砕き、くびきのなわめほどき、しいたげられた者たちを自由の身とし、すべてのくびきを砕くことではないか。
飢えた者にはあなたのパンを分け与え、
家のない貧しい人々を家に入れ、
裸の人を見てこれに着せ、
あなたの肉親の世話をすることではないか。
その時、暁のようにあなたの光がさしいで、
あなたの傷はすみやかに癒される。
あなたの義はあなたの前に進み、
主の栄光が、あなたのしんがりとなられる。
そのとき、あなたが呼ぶと、主は答え、
あなたが叫ぶと、
「わたしはここにいる。」
と仰せられる。
イザヤ書58章6~9節
確かに確かに・・・
神様は素晴らしい方です。私たちが身を戒めても、ただ高慢になったり、争ったりイライラしたりします。
本当の悔い改めの祈り、主に近づく祈りとして神様の前に断食したいものです。そして、
やはり、主の御心を喜んで行う者となれますように。アーメン